「強欲資本主義ウォール街の自爆」2009年01月05日 08時05分42秒

 新年が明けました。あれよあれよと時間は過ぎて正月も終わりです。
 早速図書の紹介です。
「強欲資本主義ウォール街の自爆」 神谷秀樹著 2008.10.20発行 文春新書

 16年前にウォール街で投資銀行を創業した著者が、アメリカ経済の衰退と世界同時不況の解説をする。
 著者が金融業に携わったうえで、信条としてきた言葉。「金融マンは実業を営む方たちの脇役に徹するべきだ」。主役である実業を営む方たちの実業構築を助けるのが金融本来の仕事のあり方であり、それこそが身分相応なのである。
 ウォール街は様相を異にしている。
 彼らは「その事業」に興味を持ち「その事業」を行うために投資するのではない。事業は何でも良い。「純粋に金融収益をあげること」、「安く買って高く売って儲けること」が彼らの最終目的でなのである。
 MBAを取って経営学を学んでいたとしても、人間として大事なこと、職業人として肝心な倫理などは何一つ教えられていないようにさえ見れる。

 ひとつの時代が終わりを告げようとしている。「一つの資本主義」の終焉の到来を意味していると思う。
 「強欲化した資本主義」は一部の人たちが巨大な富を形成し、一方で大多数の人々が搾取される仕組みと化した。そうした「強欲の仕組み」が崩壊しつつある。
 人々の価値観の大きな転換期にさしかかっている。日本では「勤労を重んじ、信用を旨とする」。アメリカでは物欲から解放され「真、善、美を追求する」建国時のアメリカ人がもっていたもの。

 自動車会社の最大の使命は、消費者が必要とする車をつくることだ。企業は顧客のために働くことこそが至上命題で、この命題に果敢に挑戦して初めて売上の伸びという目に見える形で報われるのだ。

 ファンドマネージャーは、とにかく短期にキャピタル・ゲインを出すためにだけにひたすら働く。社会に対してどのような貢献をしたとか、倫理感が高いとか、そうしたお金以外の要素はまったく評価の対象とならない。

 アメリカでは一般従業員とCEO(最高経営責任者)との報酬格差は、1980年はCEOの平均年収は労働者の42倍だったが、2005年には262倍に広がった。

 現在、国際金融市場で起こっていることは「信用の輪がズタズタに切れていっている」。「信用の輪」は、人と人との間において「返せないお金は借りない」「借りた金は耳を揃えて返す」「相手が返せないようなお金は貸さない」「むやみに連帯保証人にはならない」といったごく当たり前のことである。
 このような価値観が「金融技術の発展」(証券化、デリバティブ、レバレッジ、ノンリコース)という美名のもとにすっかり壊されてしまった。

 お金よりも大きな問題は「心の問題」ではないかと思う。
 バブルの崩壊からその後の経済の立ち直りにおいて、社会の中で人と人、人と社会との間の「信用の輪」が切れてしまった。
 「雇用する側」と「雇用される側」、「銀行」と「預金者」、「銀行」と「企業」、「企業」と「消費者」、「政府」と「納税者」、「教師」と「生徒」

 ※“倫理感”“信用の輪”といった心の問題が大事であることを強調している。いろいろな“強欲”や“傲慢”の話が出てくる。人の価値感が“善と悪”でなく“損か得”に変わってしまった。
 私が実施する研修「プロフェッショナル・マインド」のテーマでもある。
 
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「文章の品格」2009年01月31日 20時58分13秒

 1月の月末。経済の後退で連日企業の利益後退と雇用調整のニュースが舞っています。
大変な世の中になったものです。しかも、今までにない急速な変化です。
 早速図書の紹介です。
「文章の品格」 林 望 著 2008.11.1発行 朝日出版社

 リンボウ先生の本です。100ページと薄くて、字が大きいので短時間に読める本ですが、読み返したりしていると時間がかかります。
内容は文章の書き方の指導書ですが、細かなテクニックではありません。
 まえがきには、「言葉は人なり」
 言葉には、話し言葉と書き言葉とあるが、品格ある文章を書く人は、すなわち上品な言葉を使う人である。
言い換えれば、大切なのは日常の会話なのである。
 そして、しかし、言葉は磨くことができる。それも毎日の積み重ね、地道な努力がものを言う。
 人が信用を克ち得るかどうかの分水嶺は、まさにこの言葉の品格にある。だからこうも言える。
 曰く、「言葉は人なり」と。
 されば、ゆめゆめ言葉をおろそかに考えてはいけない。
 いつも自分の言葉に意識して、いやしくも下品な言葉を使わぬように一心に念じつつ暮らしていくことが寛容である。
 
 文章の基本は「日ごろの話言葉」にある。
 文章はその根のところに、各自の「話し言葉」が伏在しているはずなので、そこをよく矯正し磨かないと、必然的に文章もまた磨かれないということになります。
 だから、日ごろの話し言葉こそ、もっとも大切な文章の要素だと私は考えるのです。

 世阿弥の「離見の見」にみる極意の表現法
 世阿弥が言っていることは、芸というものは、独りよがりではいけない、いま自分の演じている姿を、いちど冷静に自己を離れて、見物人から見たらどう見えるかという立場に立って見直してみるがよい、というのであります。
 日々の会話のなかで、自分の使う言葉がどんなふうに相手に聞こえるのか、つまり世阿弥の言う「離見の見」の意識を持って言葉を使わなくてはいけないということなのです。
 そうして、この意識こそが、じつは文章上達の最短の近道だということに気づいていただきたいのです。

 品格ある文章を書くために、敬語の基本が必要
 日本語では英語のyouに当たる言葉がない。だから、まず相手と自分とどちらが年齢が上かを確認して、それによって敬語を使い分ける。

 独りよがりの文章は誰も読まない
 はたして、自分の書いた文章は、まったく自分のことを知らない、そして自分に対してなにも興味のない赤の他人が読んだときに、なにかおもしろいと感じることができるだろうか、と自問してみるといいのです。

 読まれる文章の秘密
 文章というものは、結局、自分の思い込みなどはどうでもよいことで、肝心なのは、それを読む人がどうおもしろがってくれるか、ということだからです。
 大切なのは、そのとき仮にあなたがうれしかったとしたら、どこでどんな経験をして、どういう経緯があって、だれがどんなことを言ったりして、それがどういう結果をもたらしたか、という具体的な事実を、感情を交えないで書いておかなくてはなりません。
 それを冷静に客観的にきちんと書いておけば、読者は作者と同じ経験を文章のなかで追体験することができて、ああ、これではさぞうれしかったことだろうなあ、としみじみ思うことができる。これがつまり文章の説得力ということにつながるのです。

 文章というものは、自分の思いを「他人に」伝えるためのメディアであって、自分だけで感情を自得してよろこぶためのものではないからです。
そして、その思いが他人に十分に伝わったとき、文章ははじめてその存在理由を持ったということになるのです。

 最高のお手本として、好きな作家の作品を筆写すると文章の秘義がわかるとしています。
 古典は感動の宝庫として紹介しています。
 
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